十二支から黄道12星座へ
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縄文文明の十二支は1日の時間を刻む時刻としてシュメールへ輸出され、各動物当たり2時間を割り当て1日は2x12の24時間となりました。
その後、この時刻はエジプトで午前と午後に分かれ、午前12時間、午後12時間となります。
十二支の輸出は縄文文明の世界に対する大きな貢献ですが、時刻としての十二支は世界では長くは使われませんでした(日本では江戸時代まで使われました。中国は不明)。
その理由は、シュメール文明では科学技術が急速に進歩し、精密な天体観測により星座と黄道の関係が明らかになったためです。
ここで、黄道とは太陽の天球上における運動経路で天球上の大円になります。天球とは惑星が恒星がその上に貼りつき運動すると考えられた地球中心の球体です。 日の出のときに太陽と一緒に昇る星座は、一年を通じて入れ替わり、12星座を経過したのち元に戻ります。 これを黄道12星座といいます。1日の中の時刻の経過は黄道12星座が太陽とともに移動することで表現されます。 この意味で黄道12星座は十二支と同様に1日の時刻を表すために使うことができます。 シュメール人は十二支の代わりに、天体の運動と合致した黄道12星座を時刻を表すシンボルに使うようになりました。 しかし、元々は十二支なので、十二支と黄道12星座の間には何らかの関連があるはずです。このような仮定に基づき調査を開始しました。 もしも、両者の関係が見いだせれば、縄文文明の十二支がシュメールに輸出された確固たる証拠になるはずです。 まずは、両差の比較を下に示します。 | ||
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共通するのはうしとおうしだけで、残りは、全く関係ないように思えます。
そこで十二支の各動物と星座の関係を、干支占いと星座占いにおけるそれぞれのキャラクターで比較しました。
その結果を下に示します。
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上の図のように、十二支の動物と黄道12星座の各々のキャラクターには類似性があるように思えます。
全体として見れば、十二支があってそれに対応するように黄道12星座を作ったと思えるのです。 下の図に示すように、十二支は方向を示すためにも使われていました。子は常に北を示します。それに対し、黄道12星座は季節や時刻により方向を変えます。 この意味で両者は異なりますが、十二支のスタートは子で北であり、子に対応するおひつじ座がスタートの春分点に対応するのは偶然ではないように思えます。 なお、春分点の星座は古代はおひつじ座でしたが、地軸の歳差運動により現在はうお座となっています。 | ||
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筆者が、「黄道12星座は十二支が元になっているのではなか」と考えるきっかけになったが、上の写真です。
右はベネチアの聖マルコ古代時計です。黄道12宮(星座)で1日の24時間を2時間づつ配分しています。
左の十二支の時計と類似性があるか否かは皆様の判断に任せますが、筆者は偶然の一致ではないように思えました。
「両者に類似性があるからと言って、十二支が元とは限らない。黄道12星座が元でシュメールが日本に輸出したのかもしれない。」という反論もあるかと思います。 しかし、この反論は無理です。両者を比較すれば、黄道12星座は精密な天体観測に基づくもので十二支よりは科学的に進歩しています。 科学的に進歩したものを輸出し、それが退歩した形で定着するなどということはありません。どちらが先かと言えば、間違いなく十二支が先と言わざるを得ません。 したがって、両者の類似性が偶然でなければ、日本から十二支が輸出され、それをシュメール人が進歩させて黄道12星座を作ったという結論しか導けないのです。 | ||
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