縄文時代に貨幣はあったか?
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青森県の三内丸山遺跡から新潟県糸魚川で採れる翡翠の装飾品が出土したことから、BC3000-2000年には三内丸山と糸魚川の間で交易があったことが明らかとなりました。
また、多くの縄文遺跡から北海道や長野産の黒曜石が出土していて、縄文時代には国内で広く交易が行われていたこともわかっています。
ここで問題にしたいのは、このような交易は物々交換の経済で可能かということです。 例えば、翡翠を手に入れるため三内丸山から糸魚川に行くときに、糸魚川の人が何を欲しているかわからない状況で物々交換が可能でしょうか? 翡翠などの天然の宝石は大きさや品質、色にばらつきがあり、取引の現場でしか価値を決めることはできません。 三内丸山の人は相手の欲しがりそうな多種多様なものを積んで糸魚川に行き、物々交換の取引の後、必要なかったものは持って帰ったのでしょうか? あるいは、食料は必ず必要なものなので、当時の主食であったドングリやクルミを満載して行ったのでしょうか? しかし、糸魚川でもドングリやクルミは採れたはずなので、遠方からこれらを運搬するのは全く無駄な労力になったはずです。 このように考えれば、国内で広く交易がおこなわれるためには、貨幣か借用書などそれに準じたものがあったと考える方が合理的です。 古代文明の真実を解明する上で、この推定は最も基礎となるので、皆様には慎重に検証していただきたいと思います。 もしも、貨幣かそれに準じた物(以下、単に貨幣と記載)無しに交易が可能だったならば、その方法を是非教えてください。 |
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