十二支は日本製
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十二支の辰はもともとはサメだったと考え、縄文人とサメの関係に調べました。
その結果、縄文人にとってサメは非常に身近な動物で、日常的に食料として捕獲していたことが分かりました。
各地の縄文遺跡には、サメの歯を加工した装飾品が多く出土しています。
サメ漁は当時でも危険でしたので、サメの歯の装飾品は漁師の勇敢さを示すものだったと思います。
この時代、サメ漁をしていたのは日本人だけのはずですし、中国人は内陸系民族ですのでサメなんか見たこともなかったと思います (フカヒレスープは明の時代です)。 そのため、十二支が日本から中国に伝わったときに、サメ⇒和邇⇒ワニ⇒辰(龍)への変化をしたのでしょう。 これが辰(龍)だけが空想上の動物になった理由だと思います。つまり、辰=麒麟というわけにはいかなかったのです。 十二支がユーラシアに拡散するのはモンゴル帝国の時代になってからです。 中東にも伝わりましたが、中東では中国産の龍などは全く馴染みがありません。 それで、空想の怪獣である龍とサメから、中東の海獣バハムート(クジラ)を介して、辰はクジラに変化したものと思います。 十二支が縄文時代の日本製だとすると、シュメール文明と縄文文明の交流の中で十二支もまた日本から輸出されたはずです。 辰はもともとサメであったという古い記録と中国から陸路で伝わった辰=龍が合成され、中東(イラン)で辰はクジラになったのでしょう。 すなわち、龍とクジラは一見何の関係もないように思えましたが、日本の辰=サメを経由すれば、龍⇒クジラが無理なく理解できるわけです。 「十二支は日本製」の反論として、「それなら、何故、日本ではサメ⇒龍の変化がおきたのか、サメのまま使い続ければ良いではないか」というのがあると思います。 確かに、地方にはサメ信仰の神社もあるのでその可能性もあったと思います。しかし、サメ信仰は龍神信仰に比べれば数は極めて少ないです。 歴史上の真実を探る作業をしていて、自然科学と大きく異なる点は、歴史上の真実を解明するには、物証、文献の調査、論理的な考察だけでは不十分で、 その当時の人々の感情や日本人の感性を理解しなければならないことです。 これは、十二支のサメについても当てはまります。縄文時代後期になって稲作が始まると、危険なサメ漁は下火になったと思います。サメの肉は他の魚類よりも味が落ちるのも原因のひとつでしょう。 その結果、サメは人々にとって身近な動物ではなくなり、むしろ、冷酷で残虐な海のギャングになっていったと思います。 辰年生まれの皆様は、辰(龍)年と言われるのとサメ年と言われるので、どちらが良いですか? 誰でも辰(龍)を好むのではないでしょうか。古代人も同じはずです。 このような経緯で、中国からの逆輸入でサメ⇒辰(龍)の変化が日本でも起きたと思います。 歴史の真実を明らかにする上で、日本人の感性が重要になる例を挙げます。 中国の四神(四獣ともいう)を下に示します。東の青龍、西の白虎、南の朱雀、北の玄武で、それらは青、白、赤、黒に塗られます。 | ||
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もしも、誰かがこの四獣は縄文人が考えた日本製だと主張したら、皆さんはそれを信じるでしょうか?
物証、文献、理屈の問題ではなく、日本人の感性として、これは日本製ではないと思うのではないでしょうか?
筆者もそう思います。日本人は動物に色を塗って区別するようなことはしません。
日本人の大多数が不自然と感じるようなことは真実ではないのです。 それに比べて十二支はどうでしょうか?身近な動物には、自然の一部として親しみや愛着を持っているように思うのです。 世界中で嫌われる蛇も、日本では子孫繁栄の象徴として大切にされます。 これだけでも十二支は日本製だと思うのです。 さて、最後に、何故、1日は24時間かについて説明します。シュメール文明と縄文文明の間には交流がありました。 この時に、日本からは十二支を1日の時を刻む時刻として輸出したのです。 下の図に示すように、江戸時代までは十二支を時刻として使っていました。 誰がいつから使っていたかを調べても、非常に昔の古代からとしか書いてありません。 すなわち、前に述べたように、縄文人にとって12は重要な数、神聖な数であり、それを十二支にして時刻に使用していました。 それをそのままシュメールに輸出したのが、世界中で1日が24時間になった理由です。 そこには、アトランティス文明や宇宙人などは必要ないのです。 | ||
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