12進法は縄文人の発明
| ||
|
縄文人が紙幣を使っていたならば、筆、炭、印章、紙、数字、信用が必要になります。このうち紙までは証明しました。
この頁では数字について考えます。 まず、「縄文人は数を知っていたのか?」という問いかけは愚問と言えます。 数を知らなけれれば、通常の生活を送ることもできないので、知っていたに決まっているからです、 三内丸山遺跡から1から12までの順に穴の開いた土器片が出土しています。 このことから、縄文人が数の概念を持っていたことはわかります(ただし、数字があったかどうかは不明です)。 また、同じ三内丸山遺跡にある良く知られた6本の巨大な柱を持つ構造物(おそらく神殿)の柱の間隔は4.2mとなっています。 この長さは縄文尺35cmの12倍になっています。 これらのことから縄文人は12進数を使っていた可能性が示唆されます。 | ||
| ||
|
しかし、三内丸山遺跡の祭壇の柱の間隔が縄文尺の12倍になっているからと言って、縄文人が12進法を使っていたと結論するのは、誰でも飛躍だと感じるはずです。
以下では、縄文人には12という数字が必要だった理由について述べます。 上の図は人類最初の文明と言われるシュメール文明のウルのジッグラッド(神殿、BC2000年)と三内丸山遺跡の神殿(BC3000年)の写真です。 シュメールのジッグラッドはBC3000年ごろから作られました。つまり両者はほぼ同じ時代に作られたわけです。 理系の方に聞きたいのですが、どちらが作るのが難しいでしょうか?ほとんど方は、当時では三内丸山の方がはるかに難しいと答えるはずです。 その理由は三内丸山の神殿を建てるのは6本の柱を垂直に立てそれを連結する梁を直角に連結しなければならないからです。 実際には6本の柱は安定性を増すため内側に2度ほど傾けてあるそうです。これはさらに建築の難易度を増します。 いずれにしても、直角を出せなければ三内丸山の神殿は決して建てることはできません。 これに対し、シュメールのジッグラッドは日干し煉瓦を積み重ねて作ります。 この時に必要となる道具は煉瓦の水平を出す水準器だけで、正確に直角を出す必要はありません。 BC3000年という古代に三内丸山の神殿を建てられた民族は、日本人だけだったと断言できます。 その証拠に同時代の遺跡の中に、正確に直角を出さなければ建てられない建造物は一つもありません。 この意味で縄文人は、当時としては世界最高の建築技術を持っていました。 といいますか、三内丸山の神殿は現代の技術者でも、重機を使わないで建てるのは難しいのではないでしょうか? 現代の我々はピタゴラスの定理を用いて簡単に直角を出すことができます。 ところがピタゴラスはBC500年位の人ですので、BC3000年の縄文人はその定理を知るはずもなく、おそらく分数の概念の無かったと思います。 その縄文人がどうやって直角を出したのか?その答えは各辺の長さが3:4:5の直角三角形を作った以外には考えられません。 ここで注目すべきは3+4+5=12となることです。つまり、柱と柱の間隔を12等分し、そこから3,4,5の長さを切り取り三角形を作ることで直角を出したのです。 | ||
| ||
|
日本建築を世界の建築と比較すると根本的な違いがあるように思えます。
日本建築は柱と梁で構造物を作り、その後、壁を貼っていきます。
このためには、柱と梁の角度を正確に直角にする道具が必要で、和用建築の大工さんはこれに曲尺を使用しています。
大工さんの話では曲尺なしには家は建てられないそうです。
これに対し、外国の建築作業者は曲尺をではなく水準器を使います。これはブロックを積み上げる工法を使うためです。
つまり、和風建築は古代から直角を出すのが非常に重要で、そのために12という数字を使用しました。 この意味で縄文人にとって12という数字は重要な数、あるいは、神聖な数だったはずです。 筆者は、この12という数字の1つ1つに縄文人は身近な動物を対応させたと考えています。これが十二支です。 つまり、十二支は縄文人の発明ということです。このことについて次頁以降で説明します。 この原稿を書いているときに、非常に重要な発見をしました。 何と現在市販されている曲尺には十二支の1つが刻印されているそうです。その写真を上に示しました。 この刻印の目的は、自分の道具を区別するためだそうです。 しかし、区別するのが目的ならば数字でも良いはずです。 それに、自分の道具を区別するのであれば、曲尺以外でも、金づち、かんな、のこぎりにも必要ななずです。 何故、曲尺にだけ十二支が?という問いは当然生まれます。 それに対する答えは、曲尺は12という数字が元になっていて、かつてはその数字を十二支で表していたということではないでしょうか。 |
||
| 前ページへ | 次ページへ |
